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嶋穴神社
【しまあなじんじゃ】


市原市島野にある神社。祭神は志那都比古尊。相殿に日本武尊・倭比売尊を合祀する。島野明神と称し(地理志料),嶋穴大明神ともいった。社伝によれば,日本武尊は東征の際に海路平穏を願って風神である志那都比古尊を祀り,景行天皇が東巡の際に日本武尊・倭比売尊を相殿に合祀したのが当社の創祀であるという。当地は「和名抄」上総国海上郡に見える「島穴郷」であり,そこから嶋穴大明神とも呼ばれる。天長3年6月に従五位上勲六等を叙され(社伝),元慶元年5月17日には姉崎神社とともに正五位下に昇叙されている(三代実録)。また同年7月の大旱に際しての祈雨奉幣,天慶3年9月の平将門降伏祈願を伝えるのも姉崎神社と同様である。「延喜式」神名帳海上郡条に当社名が見え,治承4年8月に源頼朝が社領36石を寄進したと伝える。なお応安5年5月日付市原八幡五月会馬野郡四村配分帳によれば(大日料6-36),市原八幡宮(現飯香岡八幡宮)五月会のために嶋穴郷を含む4か郷に費用配分がなされているが,入沼郷内に「嶋穴社,酒二瓶,菓子五合,粽三把」と見え,当社はその費用を負担している。またその際当社司等が酒宴をするために,嶋穴・青柳・入沼・郡本郷に対して計13瓶の酒が課せられている。その後天正年間に小田原北条氏と安房里見氏の抗争のため兵火にかかり,社殿・記録を失い,元和7年に土地の人々の手により社殿が再興されたという。文政6年に松平定信が富津の海防のために当社で祈願し,自筆の扁額を奉納している(現存)。明治4年11月に郷社,同12年10月に県社。当時は島野・白塚両村の鎮守であった。かつて島穴寺という神宮寺があったという。春彼岸中日と4月15日に御種挽祭が,6月1日に御田植祭が行われる。社宝に上記扁額のほか,大岡越前守自筆の額がある。なおかつて当社の北2町程の所に塚があり,その塚の下に深い穴があったと伝え(房総志料/房総叢書),清風がいつもこの穴から吹き起こっていたので土地の人は「島穴」と呼んだという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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