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法華経寺
【ほけきょうじ】


市川市中山町にある寺。日蓮宗。山号は正中山。本尊は大曼荼羅。同宗五大本山の1つ。当寺は下総における日蓮の檀越の中心的存在であった富木常忍が,若宮の屋敷にあった持仏堂を発展させた法華寺と,同じく日蓮の帰依者である太田乗明の居館を寺とした本妙寺の両寺からなり,1人の住職が両寺を兼ね,本妙寺に本拠を置いていた。この両寺が合併して法華経寺という寺号を正式に唱えるようになったのは,史料的にみて天文14年のことであったらしい。常忍は法華寺を開くと,自ら日常と改名して貫主の座につき,下総における教団の指導的地位に立った。そして永仁7年3月4日には置文を制定し,教団の基礎を固めた。同月20日に日常が没すると,乗明の子息といわれる日高が2世を継いだ。日高は正和3年4月26日に置文を定め,譲状を書いているが,そこに千葉胤貞が当寺の俗別当として名を連ね,3世には,胤貞の猶子日祐が就任した。俗別当は貫主と並ぶ権限をそなえ,寺院経営に実質的な役割を果たしており,この以後当寺は在地の豪族千葉胤貞流一門の氏寺としての性格を強めていくことになる。胤貞は先祖の菩提を弔い,一族の繁栄を祈るべく,氏寺である当寺に対し,千田荘をはじめ,八幡荘・臼井荘などに散在する所領のうちから広大な寺領を寄進した。こうして胤貞流千葉一族の外護に支えられながら発展していくが,それはまた同氏の在地における支配権力の消長に左右される性質のものであった。天正19年朱印50石1斗余が寄せられた(寛文朱印留)。中世以来多くの末寺を抱えていたとみられるが,寛永年中には132か寺の末寺を書き上げており,天明年中には末寺200か寺・塔頭28軒を有していた(寺院本末帳)。明治期になり本山の一に列した。昭和21年日蓮宗より離脱して中山妙宗を称したが,同48年には復帰した。中山の荒行といわれる祈祷道場としても有名であり,伝日蓮作の鬼子母神は子育ての守護神として信仰を集めている。古書画・古文書などの什宝が多く,国宝の日蓮真筆立正安国論1巻・観心本尊抄1帖をはじめ,国重文には江戸初期の五重塔1基,室町期の法華堂と四足門,絹本著色十六羅漢像および日蓮自筆遺文がある。古文書類は,中尾堯編「中山法華経寺史料」,「市川市史5」にそれぞれ収められている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7057014