馬野郡
【まのぐん】

旧国名:上総
(中世)南北朝期から見える郡名。上総国のうち。真野郡とも記す。平安末期,「和名抄」に見える海上郡馬野郷付近を中心とした地に成立した中世的郡と推定され,また鎌倉期には当郡付近は海北郡であったともいわれる(地名辞書)。しかし年未詳馬野郡惣勘文(覚園寺文書/相州古文書4)などは鎌倉期の田数帳をもとにしたと推定され,鎌倉期からの存在が一応うかがえるが未詳。初見は建武2年10月23日の三浦高継寄進状に真野郡とあるもの(鶴岡八幡宮文書/県史料県外)。南北朝期,当郡内には郡本郷・富益郷・姉崎社(保)・豊成郷・青柳郷・入沼郷・島穴郷・不入続郷・国吉郷・小松郷・椎津郷などが存在した。このうち島穴・青柳・入沼・豊成は本郷より独立した枝郷であった。応安5年5月には市原八幡宮五月会に際しての用途53貫750文が,また同年8月28日には永安寺僧堂造営反別銭が当郡に賦課せられた。さらに同8年の市原八幡宮造営に際しては当郡は海北郡とともに御神輿宿1宇が負課されている(三宝院文書/県史料県外)。戦国期には郡域も少し変化したようで,片又木・皆吉郷4ケ村・さいひろ(西広)・浅井村などが当郡の郷村として見え,これらの諸郷は足利晴氏の室芳春院より高右衛門・皆吉修理亮・遠山弥八郎・村上民部大夫らの部将に充行われたことが見える。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7057189 |