上板橋
【かみいたばし】

旧国名:武蔵
千川上水の北西岸,中央を石神井(しやくじい)川が東流し,川越(かわごえ)街道が西北から東南に走る。新義真言宗武王山最明寺安養院は,北条時頼の中興と伝え,周辺に最明寺塚や時頼腰掛松などの伝説がある。また境内には康安2年~長享3年紀年の明らかな板碑が10余基もある。東光山医王院長命寺にも貞治6年の板碑がある(新編武蔵・板橋区史)。また現行の上板橋1丁目にあたる小名の中内出にも暦応~応永間の板碑6基が出土した。板橋大炊助の所領は大谷口(おおやぐち)の西光寺周辺という(新編武蔵)。
【上板橋村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上板橋村(近代)】 明治22年~昭和7年の北豊島郡の村名。
【上板橋町(近代)】 昭和7~40年の板橋区の町名。
【上板橋(近代)】 昭和40年~現在の板橋区の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7059621 |





