散田
【さんだ】

旧国名:武蔵
「新編武蔵」に「この村山間にありて,田地も所々に飛び散りたれば,この名を得たりといえる土人の話もあれど信じがたし」とあり,没収あるいは農民の死亡逃亡によって耕作者のいなくなった田地という説もある(鏡味完二:日本の地名)。慶長年間以前は,寺上村・中村・山田村の3村に分かれていたと伝える。地内を吉田川(浅川)が流れ,川原に沿って江戸期には甲州街道が開かれた。また山丘には南北朝~室町期の創建と伝える臨済宗南禅寺派の兜率山広園寺と新義真言宗の松栄山真覚寺がある。広園寺は康応元年8月大江備中守師親開基の説と同2年長井大善大夫道広開基の説とがあり,ともに峻翁令山開山とされている。梵鐘には応永4年の銘文が見える。真覚寺は応永年間僧俊源の創建と伝え,火災で焼亡ののち,正徳3年伝誉の再興になる。本尊の薬師如来像は白鳳時代の様式を伝え,境内のヒキガエルの大群交尾は蛙合戦といって古来から知られていた。
【散田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【散田(近代)】 明治22年~昭和31年の横山村の大字名。
【散田町(近代)】 昭和31年~現在の八王子市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7060914 |





