若宮
【わかみや】

旧国名:武蔵
綾瀬(あやせ)川の東岸の低地帯に位置する。地名の由来は,源頼朝が祈願したと伝える若宮八幡社が村内にあったためといわれる。当時社前に竹やぶがあり,その朝露が行事の人々の鎧の袖をぬらしたので,頼朝は鎧で露を払い,今より後は竹がこれ以上高くはならないように念じたところ,竹やぶが低くなったといい,これを鎧摺りの竹という話が社伝にあったが,今はその竹やぶの跡もない。また凱陣の後,頼朝はその社頭を建立し,壮厳美をきわめたが,のち朽損し,家康入国の後,伊奈備前守が中興したという。別当寺などには伝承がないが,当社の旧地である隅田(すだ)村の百姓五郎作という者の宅地から,寛政年中に前面に「旗上八幡宮文治2年 月 日大将軍頼朝」裏面に「旗奉行金麻呂判官元茂安西兵衛造」と彫ってある神体と思われる石を掘り出したという(新編武蔵)。
【若宮村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【若宮(近代)】 ①明治22年~昭和7年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7065454 |





