阿久和
【あくわ】

旧国名:相模
多摩丘陵の西部に位置する。地内中央に榊山,東に籠馬(かごま)山と浄雲(じよううん)山,北に細川山があり,西方に平地がひらけ,中央に北から南に阿久和川が流れる。地名は,新羅の古語で水を意味する「アカ」にちなむものというが(瀬谷区の歴史),未詳。狐塚遺跡からは,ローム面付近より先土器時代終末期のものとみられる礫群や若干の石器が出土(県史資20)。大久保遺跡からは縄文後期の住居跡や土壙を発見(横浜市大久保原遺跡の調査)。
【阿久和郷(中世)】 鎌倉末期~室町期に見える郷名。
【阿久和村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【阿久和(近代)】 明治22年~昭和14年の中川村の大字名。
【阿久和町(近代)】 昭和14年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7065520 |





