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吾妻神社
【あづまじんじゃ】


中郡二宮町山西にある神社。祭神は弟橘姫命・日本武尊。四阿(あずま)大権現と称した。社伝には,日本武尊が東国平定のため相州走水の海を渡った時,風波のために難破しかけ,妻の弟橘姫が入水して海を鎮めた。姫の櫛が海浜に漂着したのを吾妻山上に祀ったのが創建という。「新編相模」にも同様の社伝を記し,「或は衣袂をとりて此山に埋め祀りし」との異伝も載せる。「江戸砂子」には「橘姫祠」として,「相州大磯の梅沢の入口」にある山の上の「上宮」は櫛を祀った社で,「街道の内に下宮あり,衣裳の流れ来りしを祭る」とある。現在上宮・下宮の別は未詳だが,「新編相模」では,当社は「吾妻山の頂上にあり」とするので,上宮にあたるものと思われる。また当社の鐘は寛永8年の鋳造で銘に「梅沢山千手院四阿大権現」とあったと記す。千手院は当時の別当寺だったと考えられる。古くは千手院・東光寺・神願寺の3寺があって,戦国期に度々廃絶したが,天正3年に等覚坊実雄なる僧が3寺を復興。1寺に合わせて梅沢山東光寺等覚院と号し,等覚院は近世の吾妻社の別当で古義真言宗(本末帳集成)。先の鐘銘のように,千手院の称も用いられていたのであろう。社伝によれば文政6年,別当等覚院と神職内海氏とが争い,それ以降当社は等覚院から独立したといわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7065582