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厳島神社
【いつくしまじんじゃ】


横浜市中区羽衣町にある神社。旧村社。祭神は市杵島姫尊・多紀理姫尊・多岐都姫尊。かつては弁天社(新編武蔵)・洲乾弁財天(江戸名所図会)・杉山弁財天などと称し,現在は横浜弁天が通称。社伝によれば,治承年間に源頼朝が宿願成就の報賽のために,伊豆国土肥の杉山にあった弁財天を洲乾島(茗荷島)の出洲に移し,社殿を造営したのが創祀という。境内7つの池から清水が湧き出ていたために清水弁天とも称したという(横浜村杉山弁天略縁起/県史資8下)。武将の崇敬が篤く,特に鎌倉公方足利氏満は紺紙金泥の般若心経を奉納し,また太田道灌も社殿を再建した(同前)。慶安2年8月には先規によって6石1斗余の朱印地が寄せられたという。「新編武蔵」には正保年間の郷帳を引いて,「六石一斗五升秀閑寺領」とあるが,「江戸名所図会」には別当として真言宗の増徳院が奉祀していると見える。元禄年間に増徳院境内に仮殿を造営して,尊像を安置し上の宮杉山弁天と称し(同前),当社は下の宮清水弁天と称したという。この尊像は江の島弁天(現江島神社,藤沢市江の島)の尊像と同木で,弘法大師作と伝える(横浜村杉山弁天略縁起)。嘉永2年に社殿再建。近世期は横浜村の鎮守で,海面に臨み勝景の地であったために参詣者が多かったという(新編武蔵)。明治維新に際し宗像3神を奉祀して厳島神社と改称し,別当を廃した。明治2年に官命により現在地に遷座し,翌3年に社殿造営。同4年村社に列格。同28年・大正5年・同15年に社殿再建。かつては11月16日に例祭が行われていたが(江戸名所図会),元禄年間に上の宮・下の宮に分かれてからは,11月17日に上の宮で祭典を行いその夜に神体を下の宮に移し,翌18日に下の宮で神事を行っていたという。例祭は8月1日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7065747