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江島神社
【えのしまじんじゃ】


藤沢市江の島2丁目にある神社。旧県社。祭神は,奥津宮に多紀理毘売命,中津宮に市寸島比売命,辺津宮に田寸津比売命を祀る。江の島の神として,近世以前は江の島弁天とも江の島明神とも称された。「吾妻鏡」によると,源頼朝の祈願のために,高雄神護寺の文覚が大弁財天をこの島に勧請,養和2年4月5日はじめて供養の法を行い鳥居を建てたとし,創祀はこの頃とみられる。以来,鎌倉幕府・北条氏歴代の信仰は篤く,将軍家や北条氏の参詣を得た(吾妻鏡建仁元年6月1日・安貞2年4月22日・天福元年8月18日条)が,度々の託宣に道俗衆庶群を成すほどの盛行をみることもあった(同前建保4年正月15日・寛喜元年11月17日条)。鎌倉幕府との関係から,当社の別当職は,鶴岡八幡宮の供僧の兼帯が室町中期以降まで続くが,八幡宮の勢力衰退とともに,当時上宮・本宮・下宮と称した3宮の各別当上之坊・岩本坊・下之坊が台頭した。このうち本宮を司った岩本坊は,のち岩本院と改め,戦国期には上之坊を兼帯,近世宝永ごろには3宮の総別当として君臨した。江戸中期以降,江の島弁財天の信仰は関東一円に広まり,ことに芸能上達・福徳円満・海上安全の神として参詣者も多かった。明治初頭の神仏分離令に際し,別当僧は神官となり,別当坊は廃止,旅宿となった。朱印地は本宮15石・上宮10石・下宮10石(記略)。明治6年県社に列格。宝物に裸形弁天,八臂弁財天坐像(県重文)がある。例祭日は4月初巳日・10月初亥日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7065955