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小田原教会
【おだわらきょうかい】


小田原市城内にある日本基督教団所属のプロテスタントキリスト教会。旧日本メソヂスト派。米国メソヂスト監督教会宣教師I.H.コレルは,横浜師範学校での教え子で洗礼を授けた学生が小田原へ赴任したため,明治18年に小田原を訪問,伝道への足がかりを作った。翌年にはJ.ソーパーやJ.C.デビソンが訪れ,小田原で家庭集会をもち旧藩士や中学教師のなかに受洗者を得た。日本メソヂスト教会年会は,明治20年8月森安延栄を小田原地方の担当牧師に任命。森安は十字町に「小田原美以(みい)教会」と日曜学会を開催し,J.ソーパーの支援で英語夜学校を開設。しかし小田原での教勢は不振をきわめたため,吉浜などへの伝道を展開。吉浜は駐在所の警官夫妻が入信したことや,安藤太郎の来援による禁酒運動ともあいまち教勢が盛んであった。この間,小田原では城内小学校・本町小学校の生徒を対象に,日曜学校活動を試みた。教会は禁酒演説会を開催,状況の打開を図るとともに,近隣の湯河原・熱海への伝道を展開。明治40年のメソヂスト3派合同により「日本メソヂスト小田原教会」となったのを機に教勢回復に努め,同45年会堂を建設。大正14年に国府津伝道所を開設,昭和4年より「組会」を組織して家族・隣人への働きかけを強化し,「神の国運動」にも積極的に参加した。昭和6年より小田原教会社会事業を発足させ,病人などの救済にあたるなど社会奉仕活動に尽力。昭和7年に自給独立を達成し,同11年に会堂・牧師館を新築。同13年4月より幼稚園を開設し地域へキリスト教保育事業を通してかかわる一方,真鶴(まなづる)・国府津を中心に近隣への伝道を強化。昭和16年,日本基督教団の成立に参加,「日本基督教団小田原教会」と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066231