100辞書・辞典一括検索

JLogos

9

海南神社
【かいなんじんじゃ】


三浦市三崎4丁目にある神社。旧郷社。祭神は藤原資盈・盈渡姫・地主大神。相殿に天照大神・豊受気比売大神・速須佐之男大神を祀る。近世期には海南明神社と呼んだ(新編相模)。社伝によれば,藤原資盈(藤原鎌足の後裔)は伴大納言善男の謀略(応天門の変)に荷担しなかったため讒言により筑紫に流される途中,暴風により当地に漂着したという。その後資盈は土地の長となり,房総の海賊を討つなど郷民の尊敬が篤かった。資盈の死後,その死骸を海に沈めて花暮海岸に祠をたてたのが起源。その後この祠を本宮とし,天正5年に当地に社殿を造営したといい,これが現在の当社である。平安末期には,三浦為継が社領を寄進し社殿を改築するなど三浦家の祈願所とし,また三浦郡の総社であったという。文禄年間には長谷川長綱が1反6畝余の免田を寄付したとされ(新編相模),天正19年11月には三崎の内5石の朱印地が寄進され,江戸期を通じて同額(記略・寛文朱印留)。承応2年3月京都吉田家の宗源宣旨により正一位を授けられたと伝える。享保4年に三浦半島の総鎮守となり,明治6年郷社に列格。祭礼が多く,1月15日の「ちゃっきらこ奉納舞」(国重要無形民俗文化財)は藤原資盈妃の盈渡姫が土地の娘に教えたものとも,あるいは源頼朝が歌舞島に遊興の際に,里女の歌に合わせて童女が即興的に小竹をたたいて踊ったのを起源とするともいう。例祭日の7月18・19日には木遣唄を伴う雌雄2頭によるお練り獅子,11月初申酉の両日には里神楽奉納舞がある(市無形民俗文化財)。この神楽は「出居戸(でつこう)の神楽」「二十五座神楽」などと称し,元和年間頃に始まったと伝える。神代神楽を演じ,特に夷の鯛釣りは「漁神楽」と称して重んじられている。「新編相模」に神木と伝える境内のイチョウは樹齢約800年で,源頼朝手植えと伝え,乳の足りない女性が触れると乳が出るようになるとの信仰がある。三浦義明が参詣の際に,赤白の狐が闘い白狐が勝つのを見て源平の合戦を占い,源氏に味方したという伝説や疫病に関する伝説が多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066294