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叶神社
【かのうじんじゃ】


横須賀市西浦賀町1丁目にある神社。旧郷社。祭神は誉田別尊・比売大神・息長帯比売命。近世期には叶明神社と呼ばれた(新編相模)。浦賀港に面し,出入する船舶の目印となっている。社伝によれば,源頼朝に認められた文覚上人(俗名遠藤盛遠)が,平家討伐のために上総国鹿野山に参籠し石清水八幡宮に祈念して,本願が叶えられれば勝地を選んで社を建て篤く祭祀をするとの誓願を治承年間にたてたという。その後養和元年に,大願成就の前兆により社殿建立の地を求めて各地を遍歴,当地に社殿を建立したと伝える。文治2年に,大願が叶ったとの由緒により叶大明神と称したという。中世末期以降,当地が港として繁栄すると,海上守護神として崇敬を受けたという。近世期には浦賀の総鎮守として(新編相模),篤い信仰を受けた。特に享保6年に江戸幕府が浦賀に奉行所を設置して以来,奉行職が参詣するようになり,大祭には特に参向して幣物奉納が常であったという。寛政5年9月には,浦賀奉行の仙石政寅が諸記録を調査し,扁額を拝殿に掲げた(同前)。天保8年の大火により,その奉納扁額とともに社殿焼失。同13年に社殿を再建,嘉永5年には浦賀奉行浅野長祚が仙石政寅の奉納扁額を複製し,奉納した(現存)。天保11年4月の社殿再造営控によれば(社蔵),再建に約3,000両を要したという。別当感応院は,本尊を不動または虚空蔵とし,虚空山西栄寺と号し古義真言宗。文覚上人の開山と伝える(以上新編相模)。明治維新の際に感応院を廃して叶神社と改称し,明治6年村社に列格。昭和12年に郷社。9月14日には湯立神楽があり,翌日(例祭)に浦賀港の安全を祈願する御浜降神事がある。また,虎踊が演じられる(県無形民俗文化財)。伝文覚上人奉納の古円鏡,有栖川宮熾仁親王筆の神号(絹地),木造扁額(円満院宮筆)などのほか,社殿(天保13年建)には名工安房国後藤利兵衛の数々の彫刻が残る。西浦賀町・浦賀町・浦上台など浦賀港の西岸全域を氏子区域とする。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066415