100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

熊野神社
【くまのじんじゃ】


横浜市港北区師岡町にある神社。旧郷社。祭神は伊邪那美命・事解男命・速玉男命。伊邪那岐命・天照大神・速須佐之男命など16神を配祀する。熊野権現社ともいった(新編武蔵)。宝暦12年の古師岡村熊野権現縁起によれば(県史資8下),創祀は神亀元年。全寿という老翁が当地の梛の木の中で木食して昼夜怠らず法華経を読誦していた。法華経1万部結願の日に,紫雲の中から当地は熊野大権現影向の霊地であり,宝札を授けるのでこれを崇め奉れという声を聞き,熊野宝印の字のある宝札を梛の木に納めたと伝える。古来から関東随一の霊験所として知られ,光孝天皇は仁和元年12月に宣旨を下して関東随一霊験所熊野大権現の勅額を賜い,社僧17坊を付し,近辺6か村を寄付。以後,宇多・醍醐・朱雀・村上各天皇の勅願所として栄え,さらに高倉天皇は承安4年の天下旱魃の際に,勅使を下して別当法華寺住僧延朗に祈雨を修させたところ,降雨3日に及び,社殿を再建し自筆の大般若経600巻を奉納した。元暦元年には源頼朝が大般若経を転読した。その後観応2年6月17日雷火により社殿は全焼し,貞治2年8月に近辺108か郷の人々の協力により別当瑞海が再建したという。翌3年5月に瑞海が書いた当社縁起が熊野山縁起として現存する。貞治2年12月吉日付の法華寺毎日例時番帳之次第には,社僧17坊の名前が見える(新編武蔵)。その後享禄年間に至り17坊の大半は廃坊となり,雲松院(横浜市港北区小机町)で別当を兼ねる事になったという。もと108か郷の惣社で近辺6か村を神領としていたと伝える。享禄2年に北条早雲,慶長4年2月10日には徳川家康から師岡村の地に5石の朱印地を賜り,徳川家光も寛永19年9月24日に安堵している(寛文朱印留)。正徳2年に本殿が再建された(現存)。明治維新で熊野大神と称し,明治33年現社号に改称。これより以前,明治4年県社に列格したが,同6年に郷社となった。1月8日に「しめより祭」,同14日に天暦3年から続いているという筒粥祭がある。社宝は熊野山縁起のほかに神亀元年全寿より伝わるという牛王宝印板,竜頭13頭(承安4年延朗作),光孝天皇下賜綸旨筥などがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066746