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御霊神社
【ごりょうじんじゃ】


鎌倉市坂ノ下にある神社。旧村社。祭神は鎌倉権五郎景正。権五郎神社ともいう。創祀年代は未詳だが鎌倉幕府成立以前と考えられる(鎌倉市史社寺編)。景正のことは「後三年合戦絵巻詞書」「保元物語」に,右の眼を射させてその矢をぬかずして答の矢を射て敵をうったとみえ,「尊卑分脈」の景正の項には「御霊大明神是也」と記されている。鎌倉初期には大庭・梶原・鎌倉氏などがそれぞれの先祖を祀り,御霊社と称していたと思われる(同前)。文治元年8月27日に当社鳴動し,大庭景能が源頼朝に報告した。頼朝は参詣し宝殿の扉が破れていたため願書1通を納め巫女等にそれぞれ賜物をしている。同年9月4日には崇徳院の御霊をあがめ,12月28日に北条政子伺候の女房の夢に景政と号する老翁があらわれ,頼朝は崇徳院のたたりを鎮めるために若宮別当に国土無為をさせている。建久5年1月4日には奉幣があり,同年11月21日には当社前の浜で千番小笠懸が行われている。建保3年6月20日に当社鳴動し,11月12日に日頃の怪異により解謝がなされた。建長4年11月17日には当社前の浜で七瀬祓が行われるなど,幕府の崇敬は篤い(以上吾妻鏡)。景正の後三年の役での伝説により,眼を患う者が祈誓すると効験があるといわれる(本朝神社考・新編相模)。また御霊神としての景正の伝承は全国的に分布する(柳田国男:一目小僧その他)。9月18日の例祭に行われる「面掛行列」(県無形民俗文化財)は,もと鶴岡八幡宮でなされていたものを明治維新後に移したもの。当日の行列に神輿などに面掛10人が続く。面には明和5年作の銘がある(永田衡吉:神奈川県民俗芸能誌)。




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「角川日本地名大辞典」
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