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最明寺
【さいみょうじ】


足柄上郡大井町金子にある寺。東寺真言宗。如意山蓮華王院と号する。本尊は阿弥陀如来。近世期に入るまでは「西明寺」と記されたらしい(新編相模)。承久3年浄蓮房源延が松田郷に開創し,信濃国善光寺の阿弥陀三尊の模像を本尊として安置(本朝高僧伝/仏教全書102)。俗称善光寺。建長年間に北条時頼の帰依を受け,伽藍・荘園を寄進され,如意山蓮華王院西明寺と称することになる(新編相模)。室町期の応永年間以来,しばしば兵乱にあい荒廃。文明元年に賢昌が中興して当地に移転した(同前)。中世期の寺領としては,「役帳」に「松山衆知行役。狩野介(中略)都合七百七拾壱貫五百五拾文」内に「西明寺分」とあり,永禄9年2月玉縄城主北条綱成が5貫600文の寺領を寄進(最明寺文書/県史資3下‐7470)。天正8年にも綱成が寺領を寄せている(同前8564)。同12年安藤良整が当村内の東福院領を寄進(同前8936)。江戸期に入り,小田原城主稲葉正則に朱印地を申請したが遂げられず,正則より慶安2年1町7反余の田地を施入された(相文1)。また貞享3年に入封した大久保氏は元禄10年に山内竹林の伐採を禁じる制札を出している(新編相模)。寛政3年の「寺院本末帳」(本末帳集成)では,東寺宝菩提院を本寺とし,19か寺を末寺とする。天保12年頃は,境内に八幡天神稲荷合社・弁天社などを有し,村内に吾妻社・薬師堂・十王堂を所有していた(新編相模)。寺宝として,陳和卿作という釈迦出山像などを所蔵。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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