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相模国
【さがみのくに】


旧国名:相模

旧国名。律令体制によって設けられた国。関東平野の南西部に位置する。西は伊豆・駿河(するが)両国,東は武蔵国に接し,南は海に面する。「和名抄」の訓は佐加三。「古事記」は相武国に作り,訓を佐賀牟とする。国名の由来については,もと身狭(むさ)の国と称していたのを,身狭上・身狭下に分け,前者が「さがみ」,後者が「むさし」となった(古事記伝),駿河・相模・武蔵の地を総称して佐斯(さし)の国と称していたのを,上・下に分け,佐斯上(さしがみ)が「さがみ」,佐斯下(さししも)が「むさし」になった(同前)。安房・上総・下総を含めて総(ふさ)の国と称した地の一部が「ふさがみ」「ふさしも」に分かれ,前者の「ふさがみ」が転訛した(陸路記・地名辞書),御坂上・御坂下が「さがみ」「むさし」に転訛した(内山真竜:国号考)など,諸説がある。
(古代)律令制より以前は「古事記」や「国造本紀」によると相武国と師長国の両国造国および鎌倉別の支配する領域によって構成されていたと考えられるが,史料の性質上,師長国や鎌倉別の存在について疑う考えもあり説が定まらない。
(中世)相模国の中世は治承4年の石橋山の合戦から始まった。
(近世)天正18年7月豊臣秀吉の小田原城攻撃により,小田原北条氏は滅亡した。
(近代)相模川以東の高座・鎌倉・三浦の3郡に属する幕府領・旗本領・寺社領は,明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7067052