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前鳥神社
【さきとりじんじゃ】


平塚市四之宮にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は菟道稚郎子命・大山咋命。前取社とも書いた(吾妻鏡)。相模国四の宮といわれ,近世には四ノ宮明神社と称し(新編相模),現在でも四の宮神社とも称する。当地は「和名抄」大住(おおすみ)郡の前取郷で,社名もこれによるもの。社伝によれば,創祀は仁徳天皇の時代という。祭神の菟道稚郎子命は応神天皇の皇太子であったが,応神天皇の死後,兄(のちの仁徳天皇)と皇位を譲りあって自殺した(日本書紀)。菟道稚郎子命を祭神とする由来は不明だが,「菟道」は「宇治」とも書かれることから宇治河との関係がみられ,さらに当社所在地が相模川の右岸河口付近の湘南砂丘にあたることから水辺に関係のある神として祀られたといわれる(県史通1)。「延喜式」神名帳では大住郡四座の1つ。元暦2年7月日付の相模国前取社・安芸国開田荘注文案によれば,当社の支配について領家と地頭の相論が知られる(東京国立博物館所蔵文書/県史資1‐88)。建久3年8月9日源頼朝が政子の安産祈願のために神馬を奉納し,建暦2年8月22日には将軍家御祈祷所となるなど鎌倉幕府の崇敬を受けた(吾妻鏡)。社領は天正19年11月に四之宮郷内で10石の朱印社領を受け,近世も継続した(記略・寛文朱印留)。別当は雪霜山神光寺と号した鏡智院。供僧は祈願山四ノ宮寺と号した定光院(新編相模)。祭神菟道稚郎子命は,百済からの渡来人である阿直岐・王仁から学問を学んだ聡明な皇子であったと伝えることから(日本書紀),現在も修学・勧学・産業の神として崇敬されている。5月5日の国府祭に当社も参加する。例祭は9月28日。論語・千字文など多くの漢籍を所蔵する。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7067073