下平作村
【しもひらさくむら】

旧国名:相模
(近世)江戸期~明治8年の村名。相模国三浦郡のうち。三浦半島中央部,大楠山の東に位置する。延宝年間に平作村から分村。元禄10年旗本村越氏知行,幕末には幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに442石余。「三浦古尋録」に見える家数32軒。「新編相模」によれば,江戸から16里余,村の規模は上平作村・池上村と合わせて東西凡25町・南北26町余,家数68軒,神社は諏訪社2社・神明宮,寺院には日蓮宗妙伝寺・大蔵寺・福泉寺などがある。村内を鎌倉・浦賀往還が通っており,下平作村にその継立場がおかれ,近郷の木古庭・上平作・池上・金谷・不入斗(いりやまず)・佐野・小矢部・森崎の8か村がその助郷村に指定されていた。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同8年平作村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7067305 |





