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日本バプテスト横浜教会
【にほんばぷてすとよこはまきょうかい】


横浜市中区寿町にある日本バプテスト同盟所属のプロテスタントキリスト教会。旧日本バプテスト教会派。万延元年に来日した米国浸礼自由伝道会社派遣宣教師J.ゴーブル夫妻が,明治6年来日の同派宣教師N.ブラウン夫妻とともに明治6年3月2日に創立。日本でのバプテスト派最初の教会で,横浜第一浸礼教会と称した。初代牧師はブラウン。同年7月に受浸したゴーブルの筆生石川寿一郎は,バプテスト派の最初の日本人会員。明治7年会堂を山手75番に建設。翌8年11月来日の婦人宣教師クララ.A.サンズは会堂に住み,ミセス・ブラウンが手がけていた子女の教育を引き継ぎ,男女共学の私塾聖経学校を運営する一方,横浜を中心に近隣の農村地域への伝道を展開した。学校は明治19年ミス・サンズ離日により,翌20年開設の英和女学校(捜真女学校の前身)へ引き継がれた。N.ブラウンは翻訳委員会とは別個に独力でギリシャ語原典に忠実な訳をめざし聖書翻訳をなし,付属印刷所ともいえる「横浜バイブルプレス」より刊行。さらに高座第一浸礼教会(明治15年10月10日設立)・高座第二浸礼教会(同19年10月設立)を生むなど,バプテスト派の拠点として活動した。明治19年,ブラウンの死によりA.ベンネットが牧師に就任。横浜第一バプテスト教会と改め,教会敷地内に建設されていた横浜バプテスト神学校で教職者の養成に努めた。大正12年,寿町への新会堂建設と移転をはかったが,関東大震災で竣工をまたず焼失。移転とともに横浜バプテスト教会と改称。大正13年より寿保育園(託児所)を始め昭和5年寿幼稚園となる。昭和16年,宗教団体法によるプロテスタント各派合同による日本基督教団の創立総会に参加,日本基督教団横浜教会と改称。昭和20年5月の横浜空襲で会堂は外郭を残して焼失。戦後の昭和21年3月より,米軍従軍牧師の協力を得て医療ミッション「横浜ミッション診療所」を開始し,地域への奉仕活動に尽力。日本のバプテスト教会の中心として,伝道のみならず教育・医療奉仕など,先駆的働きをなした。昭和26年,日本基督教団を脱退,日本バプテスト横浜教会となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7068422