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本牧神社
【ほんもくじんじゃ】


横浜市中区本牧町にある神社。旧村社。祭神は大日孁貴命・須佐之男命・大山津見命・木花咲耶姫命。近世には本牧十二天宮(江戸名所図会)・十二天社(新編武蔵)などと呼ばれ,現在でも十二天が通称。社伝では海中に光があり,大日孁貴命の像が社地の海岸に漂着したため,天正10年に郷人が本牧村の総鎮守として奉斎したという。しかし,創祀には異説が多く,「新編武蔵」などでは,永禄2年正月8日に漁師の松本次郎左衛門の漁網に十二天の像がかかり,当時本牧・北方両村の鎮守であった若宮八幡宮の境内に小祠を建てて祀り,のちに若宮八幡宮が北方1村の鎮守となったため,当社を本牧村の総鎮守としたという。また建久3年に源頼朝が鎌倉の鬼門鎮護のために奉斎したものともいう。社伝では,その後本地垂迹説により仏説十二天(一切の天竜鬼神星宿冥官の総主)を神前に祀り,文禄3年2月16日に社殿を造立したという。天正19年11月には徳川家康から本牧領内に朱印社領12石が寄進され,江戸幕府も同額を給した(寛文朱印留)。近世の神宮寺は多聞院で(横浜市中区本牧元町,高野山真言宗),弘長2年に弁賀の創建と伝え,同3年正月に大日孁貴像とともに漂着した薬師如来を本尊としたという。神主家は松本氏で,十二天像を見つけたという漁師松本次郎左衛門の子孫で,京都吉田家の配下にあったという(新編武蔵)。朱印地は,多聞院と神主家で6石ずつ折半し(元禄16年3月9日付社蔵文書/横浜市史稿),朱印状は多聞院で保管していたという(新編武蔵)。本殿は元和元年3月・寛文10年3月に再建され,拝殿も寛永7年6月・寛文13年9月に再建されている。さらに元禄10年6月・正徳2年11月8日にも社殿の修造・再建が行われている(以上棟札)。近世には年4回の神事があり(正月8日・6月15日・9月9日・11月15日),特に11月の神事には鎌倉(鶴岡八幡宮か)の社人・神女が奉仕したという(元禄16年3月9日付社蔵文書/横浜市史稿)。明治維新に際して十二天社の仏号を廃し,大日孁貴命を奉斎して本牧神社と改称。同時に別当職を分離した。明治42年に社殿を改造し,大正7年までに付近の4社を合祀。かつては6月15日に馬流しと称する神事が行われていたが,現在は8月上旬の正午満潮の日(例祭)。これは永禄9年6月15日に始まるものとされ,茅製の馬首亀体の6体の「お馬」に氏子の霊厄を負わせて御神船により海上に流すという御霊信仰に基づくもの。海上から御神船が逃げ帰る際には競漕が行われて勇壮である(県無形民俗文化財)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7068998