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山手カトリック教会
【やまてかとりっくきょうかい】


横浜市中区山手町にある教会。キリシタン復活後の日本で最初に建てられた聖心教会(通称横浜天主堂,文久元年12月13日献堂式)が,明治39年5月13日に現在地へ移転献堂。昭和12年11月9日に横浜教区が独立して新設された際に司教座が置かれ,山手教会と呼ばれるようになった。開港後の日本のカトリック宣教は,パリ外国宣教会の手でなされた。日本教区長代理ジラールは,フランス総領事通訳として日本に赴任。ムニクウの協力を得て横浜寄留地80番に天主堂を建設,宣教活動の拠点とした。この聖心教会は瓦版や木版で広く喧伝され,日々数百人から数千人の見物人を集め,横浜名物の1つとなった。ジラールとムニクウは,日本語で見物人に説明し教理を説き,祈祷書類を配布した。そのため神奈川奉行阿部正外は,文久2年1月20日に天主堂見物の50余名のうち33名を捕縛したが,フランス公使の抗議で同年2月14日頃までに全員を釈放せざるを得なかった(横浜天主堂事件)。幕府はジラールらが日本語で説明するのを中止するようフランス政府に要請。天主堂見物はこの事件で一時的に鎮静したが,やがて以前にもまして人気を呼び門前市が並んだ。当時の評判は「珍事五ケ国,横浜はなし」(文久2年),「横浜奇談」(文久3年),「横浜みやげ」(元治元年)等に紹介されている。聖心教会は,日本で最初のカトリックの出版物「聖教要理問答」を手はじめに,明治6年に神学校を設置して付属印刷所を設け,「公教要理」をはじめ布教書や布教記録を印刷した。教会はサンモール会の協力で明治20年に野毛山に公教要理学校と施設院,同24年に若葉町に礼拝堂と小学校を設置するなど,横浜を中心に活動。日本布教の拠点としてカトリックの出版・教育等に関する多面的事業において先駆的仕事をなした。現在は教区司教座として神奈川・静岡・山梨・長野4県の布教の中心。明治39年に信者の多くが居住する山手町44番地に移転し,大聖堂を建設したが関東大震災で全焼,昭和8年11月に再建された。鐘は横浜天主堂創立を記念して文久3年に,庭園内の聖母像は明治元年に,ともにフランスより寄贈されたもの。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7069517