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横浜海岸教会
【よこはまかいがんきょうかい】


横浜市中区日本大通にある日本基督教会所属のプロテスタントキリスト教会。旧日本基督教会派。米国和蘭改革派教会宣教師J.バラ塾に学ぶ青年は,横浜居留地167番の教場の小会堂で,篠崎桂之助の発案で万国福音同盟会の新年初週祈祷会にならい,明治5年1月1日に日本人の手になる最初の祈祷会をもった。翌2日からバラの使徒行伝の講義を聴き,熱心な祈りは予定の1週間をすぎても続けられた。同年2月2日に竹尾録郎・篠崎桂之助ら9名が受洗。すでに受洗していた小川義綏・仁村守三とともに,禁教下における日本人の手になる最初の教会を設立した。最初の長老に小川義綏,執事に仁村守三を選出,バラを仮牧師に招聘し,横浜日本基督公会(横浜基督公会)と称した。のちにいわゆる「横浜バンド」の拠点とみなされた。内外人の寄付金1万ドルで大会堂を建設,明治8年7月10日に献堂式を挙行,横浜海岸教会と改称。この改称は当教会の無教派公会主義が,横浜長老教会(のちの指路教会)の創立にみられるように,教派主義による教会形成が一般化してきたことで,困難になったことともかかわっている。明治10年日本基督公会は日本長老教会と合同して,日本基督一致教会を組織。同23年10月に日本組合教会との合併が破綻したのを機に,日本基督教会となった。当教会は,日本プロテスタント教会内の最大教派である日本基督教会の源流をなし,横浜に生まれたフェリス女学校や共立女学校,共立女子神学校と強く結ばれていた。かつ日本キリスト教界の代表的指導者となった初代長老小川義綏をはじめ押川方義・植村正久ら多くの人材を育て教界の一大勢力をなした。その影響下に形成された教会は,名古屋・瀬戸・上田・弘前・新栄・四ツ谷・麹町・横須賀・鎌倉・金目・三島・阿久和・和戸などである。昭和16年6月,日本基督教会は宗教団体法で成立した日本基督教団に参加するため解散したので,日本基督教団法人横浜海岸教会と名称変更。戦後の昭和24年日本基督教団を離脱,同26年4月日本基督改革派教会に加入したが翌27年同派を離脱。日本基督海岸教会となり,昭和34年に日本基督教会に改めて参加。こうした当教会の歩みは,禁教下での成立からはじまる歴史的役割だけでなく,日本プロテスタント史を代表したものである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7069602