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横浜指路教会
【よこはましろきょうかい】


横浜市中区尾上町にある日本基督教団所属のプロテスタントキリスト教会。旧日本基督教会派。明治5年に来日した米国長老教会派遣宣教師ヘンリー・ルーミスは,ヘボン塾で教鞭をとるかたわら塾生を中心に伝道し,同7年10月に10名に洗礼を授けた。彼らはカナダメソヂスト教会宣教師カクランより受洗した南小柿(みながき)洲吾と新たな受洗者7名を加え,ヘボンの協力を得て明治7年9月13日に,18名でルーミスを牧師,南小柿を長老とする長老主義の教会「横浜第一長老公会」を組織した。この名称は,米国長老教会の長老会に所属せず,日本人の教会として発足を認められたためである。一方ではすでに設立されていた無教派主義による最初の教会「横浜日本基督公会」(のちの横浜海岸教会)に対し,長老主義をかかげた教派主義の教会設立を意味していた。このことは,無教派主義による日本宣教の理念が,教派競合の波にあらわれていくなかで,横浜日本基督公会がオランダ改革派教会の影響を強くうけていたこともあり,長老派の立場からヘボンやルーミスらが教会を創立したからにほかならない。いわば横浜第一長老公会は,日本での長老教会の原点となるものであったが,偏狭な長老主義という教派性にとらわれず,日本基督公会との協調を目指していた点が大きな特色である。教会は明治7年10月港町6丁目に講義所を設置し,「耶蘇教講義所」の看板をかかげたが戸長の反対にあい,「真理学講義所」として伝道。翌8年より太田町3丁目の講義所へ移り,ヘボンの尽力で住吉町に同9年11月26日に会堂を建設し,「住吉町教会」と命名された。同10年に,米国長老教会・オランダ改革派教会・スコットランド長老教会の3ミッションの合同を機に,日本基督公会との合同教会を結成すべく日本基督一致教会が成立し,「横浜住吉町基督一致教会」と改称。明治15年,創立会員で長老の1人の南小柿が最初の日本人牧師として就任。教会総代稲葉治兵衛は版木師で,禁教下で「馬可(マルコ)伝」「約翰(ヨハネ)伝」「馬太(マタイ)伝」の版木を彫った機縁で教会員となった。ヘボンは明治21年に教会員が200名をこえたのを機に,会堂を市内の中心地に建設し横浜市民への影響力強化を意図し,米国長老教会本部に資金援助を要請した。同25年1月26日現在地に赤煉瓦の会堂が竣工,「指路教会」と命名された。名称はヘボンの母教会の名称Shilohにちなむといわれるが,創世記49章10節にみられる平和・メシアの意味をもつシロから採ったもので,イエス・キリストの救いの路を指し示したものと解釈されている。昭和初頭には1,000名余の会員を擁する大教会となり,日曜学校や指路女学会による和裁・生花・ピアノ等を教える子女教育などで,市民への社会教育に努め,市内のキリスト教伝道センター的役割を果たした。教会員には官吏・医師・実業家・学者ら社会的名士を擁した。昭和16年日本基督教団の成立に参加。昭和26年に牧師林三喜雄が旧日本基督教会系の教団離脱に応じて,影響下の会員70数名をつれて退会し教会は分裂。林らは神奈川区桐畑に日本基督教会横浜長老教会を設立。教会は村田四郎牧師の下で体制をたてなおし,「日本基督教団指路教会」と名称を定めた。現在は「日本基督教団横浜指路教会」と称する。




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「角川日本地名大辞典」
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