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御封印野新田
【ごふいのしんでん】


旧国名:越後

(近世)江戸期の総称名。蒲原郡のうち。新川右岸。鎧潟縁辺の低湿地で,もと大野と称し,洪水時に鎧潟の水を流し込む遊水池であった。このため寛永4年幕府により当地の開発が禁止され,以後御封印野と呼ばれた。三潟周辺37か村の開発願いが聞き入れられ,延享年間から近隣村の村請で新田開発が始まる。宝暦元年検地が実施され,御封印野新田検地帳が残る。幕府領。明和2年石瀬代官所村々高辻帳によれば,当新田は御封印野組(横戸・遠藤・熊谷・富出・松崎・曽根・籏屋・五野上・善光寺・桑山の各村請)2,871石余と四ケ村組のうち水沢新田・山口新田両村請578石余から成っている。「天保郷帳」では,このほか七ケ村受・十二ケ村受が加わっている。文政年間の新川開削により新田開発が進展したものと思われる(西蒲原郡志)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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