柴町
【しばまち】

旧国名:佐渡
(近世~近代)江戸期~現在の地名。江戸期は相川の1町。相川之図(佐渡志)によれば,町並みは南北に続き,南は大間町に接する。町名は慶長年間当町で柴木が陸揚げされたことに由来。慶長11年番所が置かれ,柴町番所・柴町十分一役所と称された。元禄7年検地帳では屋敷1町余,屋敷数は東側38・西側35。相川町々書上では町並み71間,屋敷1町余,地内には大泉寺への小路,専光寺への小路が通じ,下戸村善知鳥神事の祭礼で山鉾と神輿が鎮座して神楽を奏した御旅所が記される。文政9年墨引帳では竈数127,修験2・寺2・神社2,職業は日雇19・銀山仕事師11・小間物商8・魚仲買7・針仕事師8など。寺社は,禅宗大泉寺・浄土宗専光寺,修験当山派一乗院・同本山派和合院,真宗長願寺廃寺址,天神社・風宮社。明治6年の人口612。同22年相川町に所属。昭和48年の人口213。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7073811 |