竹ケ花
【たけがはな】

旧国名:越後
加治川左岸。地名の由来は,伝説によれば,昔村の中央に竹林で覆われた小高い丘があり,その竹林には弓矢に適するものが豊富であるため直江兼続が竹林の地を譲り受けたが,あまり茂り過ぎて花が咲き絶えてしまったという。その後兼続は会津へ移ったが,竹ケ花の地名だけは残ったとされる。また一説には,竹ケ花とは館ケ鼻,すなわち館の近くにある意から生まれたものとされる。天正年間の上杉景勝と新発田重家の戦いでは当地は激戦場の1つとなった。戦死者を葬った塚が3か所あったが,現在もその2つが天正の首塚として字塚田に残っている。
【竹ケ花村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【竹ケ花(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7075219 |





