富永十兵衛新田
【とみながじゅうべえしんでん】

旧国名:越後
西川と大通川に挟まれた平野部。富永村開発の百姓の1人,水野兵右衛門家に,信州から十兵衛という浪人が来て草鞋をぬぎ,のちに分家となって富永に住んだ。十兵衛は算筆ができた。新たに開墾した新田の図面を作り,長岡藩の検地を願うことになった。十兵衛は,その図面をひそかに盗み写し,自分が開墾した形で村に先んじて出願した。藩では富永十兵衛新田として検地を行い,権利一切は十兵衛のものとなったという。承応元年開発と見える。
【富永十兵衛新田(近世)】 江戸期~明治22年の新田名。
【富永十兵衛新田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7075941 |





