西川島
【にしかわじま】

藩政期の川島名。新潟平野の中央部,西川と中ノ口川に挟まれた地。上流側は燕市,下流側は新潟市の一部,その他西蒲原郡4町5村に及ぶ。藩政期には長岡・村上・高崎の各藩領が交錯。「越後名寄」には「川中島」とある。「越後野志」巻13に「西川島」として「蒲原郡信濃川の分流西川と中ノ口川の間を言,水上大川津村より下流平島村迄凡行程十二里許,其中に存する村落百二十九村」とある。東西約12km,南北約33kmで西蒲原郡の3分の2を占めた。河川の船道が物流の主役を担う時代には必要であった島名概念も,陸上交通が容易になった現在では使用されない。島の北半中央部は低湿で,南から北へ鎧潟・田潟・大潟等大小多数の悪水溜があり,水路で結ばれて西川下流部に自然排水されていた。文政3年,大潟から西に新川を掘り,内野地内の砂丘金蔵山を開削,五十嵐浜まで悪水を導いて日本海に直接放水する排水路工事が完成。その後田潟・鎧潟と干拓が進んだ。当時,新潟湊商人は流入する水が減じて港の機能が低下する等の理由で反対請願を出したが,中野小屋村割元庄屋伊藤五郎左衛門らの私財投入により総工費3万両の大部分を地元負担で実現。昭和46年,新川河口には毎秒最大240tの排水能力をもつ新川排水機場が設置され,同41年の鎧潟の干拓をもって,島の低湿水田はなくなった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7076649 |