東島崎村
【ひがししまざきむら】

旧国名:越後
(近世)江戸期~明治19年の村名。三島(さんとう)郡のうち。島崎上村とも称した。郷本川中流域と西山丘陵北端部。古くは島崎村と称し,慶安2年に村上藩と幕府領に分けて把握されるようになって西島崎村と当村に分村したと思われる。なお,郷帳類では島崎村1村として扱われている。はじめ幕府領,元禄11年椎谷藩領,寛政4年からは幕府領。村高は,「旧高旧領」857石余。寛政4年村明細帳(大谷地家文書)によれば,幕府領分の島崎村(東島崎村)の高850石余,家数126・人数475。明治19年島崎村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7077270 |





