打出本江
【うちでほんごう】

旧国名:越中
北は富山湾に面する。南端を北陸街道がかすめる。神通(じんづう)川の扇状地から,西の旧放生津(ほうじようづ)潟の三角洲に位置する。「江」は郷の略字で,打出の本郷の意と伝える。なお,阿弥陀堂や光覚寺の縁起によれば,潴沢池沼等多く平坦なる荊叢の沼地であった当地に,白石村から小舟で漁に来たものや,寒江本郷(さぶえほんごう)・二上・守山・老田あたりなどの地から来たものが定住して村立てされたという。かつて打出宿ともいい,3,000の家が軒を連ね,湊は北国一の廻船量を誇ったといい,遊女にまつわる悲話伝承が残る(喚起泉達録・新湊市史)。
【打出本江村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【打出本江村(近代)】 明治22年~大正4年の射水郡の村名。
【打出本江(近代)】 明治22年~大正4年の射水郡打出本江村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7080150 |





