大境
【おおざかい】

旧国名:越中
西方の丘陵山地が海岸に迫って断崖絶壁をなし,中央にあるわずかな半摺鉢状の小凹地に人家が密集している。明治・大正期以降,峠越えをせずに小境・姿へ通ずる路が整備された。村の北側海岸にある台地(駒首)にはわが国で発見された洞窟居住跡の第1号である大境洞窟居住跡(国指定史跡)がある。中世の板碑・石仏・五輪塔残欠なども村内に残存する。当村と北隣りの姿との中間に九殿(くでん)という谷間がある。伝説によると,昔ここに7人の百姓が住み,九殿大明神を祀っていたが,のち姿と大境へ分かれて移住し,両村の草分けとなったという。「正徳社号帳」には,大境村にも姿村にも九殿大明神を祀っているのはその名残か(灘浦志)。
【大境村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大境(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7080308 |





