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車持郷
【くらもちのごう】


旧国名:越中

(古代)平安期に見える郷名。新川(にいかわ)郡のうち。「和名抄」に見える新川郡10郷の1つ。訓を欠くが,「倭訓栞」に車持の姓を「久良母知」と訓むのに従う。「クラモチ」は「クルマモチ」のつづまった形である。高山寺本に「今亡」の注があり,すでに早く廃絶したらしいが,遺称地もなく,その所在地は不明。「地名辞書」は旧月岡村の西黒牧,福沢村の東黒牧(上新川郡大山町)をあげ,「クロマキ」はあるいは「クルマモチ」の訛音かとしているが,単なる臆測にすぎない。「日本地理志料」にも,旧藤保(ふじのほ)内の栗虫(くりむし)村(現下新川郡宇奈月(うなづき)町)を車持の転訛とする一説が紹介されているが,これまた音の類似からする臆測にすぎない。車持郷は車持君氏の管した車持部の分布にちなむ名称であるが,律令時代,宮内省管下の主殿寮の殿部40人は,日置・子部・車持・笠取・鴨の5姓の人をもって充てる習わしであった(三代実録,元慶6年12月25日癸亥条)。そして越中国には,この5姓のうち,日置・子部・車持の3つにちなむ地名が並んで存在している。すなわち,同じく「和名抄」の郷名として婦負(ねい)郡には小子(ちいさこ)郷が見え,式内社の日置(ひおき)神社(新川郡),中世の安楽寿院領日置荘(永徳2年10月27日「満仁寄進状」/県史中)は,近世の入部(にゆうぶ)郷内日置村を経て,現在の中新川郡立山町の日置に名をとどめている。この事実は車持郷の由来と性格を考える上で非常に注目される点であろう。「日本地理志料」はまた,「続日本紀」天平9年正月辛酉条に「車持君長谷」の人名が見えること,「和名抄」にいま1つ車持郷の見える上総国長柄(ながら)郡にも長谷部(波世倍)郷の存在することをあげて,同じく新川郡の郷名として見える長谷(はせ)郷との関係にも注意を促している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7081205