宗源寺
【そうげんじ】

旧国名:越中
(近世~近代)氷見(ひみ)市大字加納の通称地名。江戸期は射水(いみず)郡加納村の垣内名。地名の由来は,かつて宗源寺という寺院があったものと思われるが,寺跡も沿革も不詳。上庄(かみしよう)川下流北岸,河口近くに位置する当地付近で上庄川はかつて曲流しており,沼沢地が多く芦荻が繁茂し,河畔から離れた砂浜地帯は松林で,人家と畑地があった。大正8年氷見郡立農学校が創立され,翌年宗源寺と諏訪野の中間に新校舎と実習農場が造営された。第2次大戦後氷見農学校は県立有磯高校となり,鞍川(くらかわ)の元氷見高等女学校の跡地へ移転し,農学校跡地に北部中学校が創設された。昭和47年7月20日北部中学校は火災により全焼し,同49年7月加納135番地(字方崎(ほうざき))に移転新築。跡地には昭和54年小学校が移転新築された。昭和初期以来人家が次第にふえ,戦後には60余戸になったので,昭和29年6月宗源神社を創建して,町内の団結を固めた。以前は加納町出身者が多いことから主として加納町の八幡神社に参詣していた。上庄川河畔には定置網の倉庫群が建ちならび,北部には水産加工の作業場と干場が多い。昭和40年10月の世帯91・人口365(統計ひみ)。現行の北大町・諏訪野のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7082287 |