仏生寺
【ぶっしょうじ】

旧国名:越中
南境は200m前後の山地を隔てて,高岡市勝木原(のではら)・頭川(ずかわ)地区に接し,西方も同様山地を以て氷見(ひみ)市久目(くめ)地区に接する。集落は上中(かみなか)・上原(うわはら)・吉池(よしいけ)・細越(ほそごえ)の4垣内(かいと)は山間部にあり,寺中(じちゆう)・大窪(おくぼ)・大覚口(おがくち)・脇之谷内の4垣内は谷間の小平地にあり,計8垣内に分かれている。山間部の水田はみな階段状に造成されている。吉池には地滑り地帯があり,昭和26年には地滑りによって田畑は大被害を受けた。村名の由来は,往古金雞山仏生寺という密教寺院があったことによる。上中区背後の山中に仏生寺城の跡と伝えられる城山(じようやま)がある。脇之谷内の南方,高岡市との境に三千坊山(264m)があり,伝説によると密教寺院の坊舎が多数あり,江戸期になって,僧侶たちは下山して百姓となり,今なお径門坊・幸善坊・宝珍坊・道善坊の坊名を付した家がある。飯久保村にある真宗東派光久寺は,もと仏生寺村吉池にあり,玄巣院と称したもので,その跡地に昭和4年記念碑が建てられた。
【仏生寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【仏生寺村(近代)】 明治22年~昭和29年の村名。
【仏生寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7084229 |





