本江
【ほんごう】

旧国名:越中
「ほんご」ともいう。北流する和田川右岸に位置する平坦地帯。西は和田川をはさんで堀内と接する。村名の由来には「本江は三島野の本郷」(五十嵐篤好:郷荘考)とあって,「万葉集」の三島野の本郷に転じたとされる古い村で,神明宮棟札に「嘉祥三年勧請」とある(山本社家文書)。村名もはじめ東本江と書き,西の井口本江から見た東本江説と,もとの集落は村の東にあり,事情あって現在の集落地帯に移ったが,もと東にあったことから東本江としたとする説もある。延宝2年加賀藩の行政簡素化政策によって「東」を省いたが(折橋文書),明治に至るまで東本江が通例となっていた。村名の初見は戦国期佐々成政が,家臣の槻尾甚助に1万俵の地を与えた天正11年8月21日の「知行高目録之事」に「950俵之所 中郡之内本江」(川越文書/大日料11-4)とある。
【本江村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【本江(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7084423 |





