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茗ケ原
【みょうがはら】


旧国名:越中

茗ケ原川上流の流域役4km余にわたる細長い村。南は山越えに東松瀬村,北は角間村に接する。古くは名河原・茗河原とも記され,茗荷の繁茂したところから村名が生まれた(婦負郡誌)。天正11年「佐々与左衛門知る行方目録事」に「弐百五拾俵子之所 婦負郡名河原村」とある。当地の妙覚寺は真宗西派妙香山聞名寺末で,もと真言宗妙香山満福寺と称し,南北朝期創立の伝承をもつ。文明5年浄林房順海が蓮如上人の弟子となり改宗。文明8年茗ケ原城主佐渡盛降は順海の弟子となり,のち2世浄順となる。13世に長谷観音の再来といわれ,地上5寸の宙を歩いたという勧学巧便が出る。巧海は自坊に学室を設け善解室と称した。また門弟は3おお余名,著書は35部71巻に及んだ。
茗ケ原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
(近代)】 茗ケ原 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7084833