脇
【わき】

旧国名:越中
北隣りは石川県に接する。東は富山湾に面するが,漁業従事者は僅少である。西方の丘陵地が海に迫り,平地が少ないので,丘陵台地や谷間を開いて水田としている。伝説によれば,当村は往古,真言宗寺院2か寺があり,人家100余戸があったが,建武2年の石動山天平寺の兵火によって人家10余戸と1か寺を残すのみとなった。その後復興されたが村民は漁業を重んじて農業を等閑視したため再び荒廃したという。そのため越後の蒲原(かんばら)郡に移住した村民もあったが,長坂村光西寺の僧教承の指導によって開拓に励み,今日に至ったという(大正7年女良村村是)。県境の海岸180m沖に仏島という周囲約50mの岩礁がある。集落は浜出・だん出・向出の3垣内(かいと)に分かれる。
【脇村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【脇(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7085256 |





