石坂川岸
【いっさかかわぎし】

(近代)明治32年~昭和42年の金沢市の町名。もとは石坂川岸町の一部。明治32年,金沢市の中心部の栄町と松ケ枝(まつがえ)町の郭(通称北ノ廓・北新地)の免許期限が切れたので,県は石坂川岸町の泉用水の北側の約1万坪の地に移転させ,茶屋・娼家・小料理店などの営業を認めた。用水に直交して1の小路,2の小路が並ぶ。石坂町の遊郭を上町(うわまち),川岸の小路を下町(したまち)と称して区別した。大正5年の戸数・人口は1の小路23・95,2の小路52・163。昭和20年11月,駐留米軍の要求で,石坂川岸1の小路の15業者は米軍専門業者に指定され,日本人の立入りは禁止された(金沢の百年)。同30年の世帯数・人口は1の小路66・264,2の小路43・140。同42年増泉(ますいずみ)1丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7085633 |





