上本多町
【かみほんだまち】

(近代)明治4年~昭和39年の町名。1~2番丁がある。はじめ金沢町,明治22年からは金沢市の町名。もとは安房殿(あわどの)町の一部。「稿本金沢市史」には「古より上本多町の竪丁を私に馬場町といへり,伝説によれば,佐久間氏尾山在城の時,此に調馬場を置きたりといへど,如何にか」とある。明治12年1番丁に石浦村の一部を編入。「皇国地誌」には,1番丁は「中本多町闕下町ノ南ニ続キ,東方中闕原町ニ通シ,西方上本多町二番町ニ連ル」,2番丁は「一番丁ノ西南ニ続キ二タ筋トナリ,共ニ西南上本多町川御亭ニ連シ,東南手木ノ町ニ通ス」とある。大正5年の戸数・人口は1番丁16・85,2番丁6・29。昭和30年の世帯数・人口は1番丁119・436,2番丁195・725。同39年本多町1~2丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7086564 |