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五郎左エ門分
【ごろうざえもんぶん】


旧国名:能登

五郎左衛門分とも書く。能登半島北部,町野川の支流中斎(なかさい)川流域に位置する。元禄14年の「郷村名義抄」によると,もとは本郷(本江)村のうちに含まれていたが,五郎左衛門という百姓の持ち分が独立したという。本郷五郎左衛門は中世末期の有力名主で,近世初期には十村役を勤めた(柳田村の集落誌)。中世に平等寺領であった寺分をはじめ近隣諸村と地籍が複雑に入り組んでいるが,地頭勢力と結んだ五郎左衛門が寺領を蚕食した結果と推定されている(同前)。天正10年に町野川中流域の佐野村から移転したと伝えられ,短期間存続した真宗大谷派徳宝寺も五郎左衛門が平等寺に対抗するため招請したもので,のち天坂(てんざか)村に移転した。
五郎左衛門分村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
五郎左エ門分(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7087219