子浦
【しお】

旧国名:能登
能登半島基部,子浦川の中流,宝達(ほうだつ)山地の山麓から平坦部に開ける志雄(しお)谷の出口に位置する。地名は,中世の志雄荘や志雄保に由来するが,荻谷(おぎのやち)村十村岡部長右衛門が元禄14年藩へ報告した由来書上によれば,「子浦村,此村昔年より志雄町と書申候,由来は相知不申候,五十ケ年計以前,度々火事致し,出来難儀仕候所に,村名の字たたり申由にて,明暦年中に文字替り子浦町と書申上候得共,延宝年中より子浦村と今に申候」といい,明暦年間,子浦と改めたという(志雄町史)。南部山麓一帯に,小谷屋(こたにや)横穴群が散在する。
【子浦村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【子浦(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7087378 |





