志賀町
【しかまち】

(近代)昭和29年~現在の羽咋(はくい)郡の自治体名。能登半島中央部の西海岸に位置する。西は日本海に面し,東部は眉丈(びじよう)山系の丘陵が南北に連なり,米町(こんまち)川・於古(おこ)川・安津見川などが貫流する。地名の由来は,近世に土田荘・堀松荘・甘田保・大坂保の4か荘保をまとめて「四ケ」と総称したことによる(志賀町史)。志加浦(しかうら)・堀松・加茂・土田・上熊野5か村が合併して成立。合併各村の大字を継承した39大字によって編成。大字末吉に町役場を設置。昭和30年下甘田(しもあまだ)村を編入し,46大字となる。当時の世帯数2,846・人口1万4,679。昭和45年高浜町を編入,54大字となる。同年の世帯数4,052・人口1万7,440。同年大字高浜町に役場を移転。昭和34年,町内の中学校を統合して志賀中学校および学校組合立高浜中学校を設立。同41年県立高浜高校を開校。産業面では農地基盤整備の実施,志賀土田・西山の両開拓パイロット事業を設定して葉煙草・スイカ・柿・栗・桑園の増反を目指している。また特産の瓦工業・織物工業の振興に力を入れ工場誘致条例を制定した。さらに地域振興整備公団による能登中核工業団地を造成し,企業に分譲している。また昭和43年より大字赤住に北陸電力が能登原子力発電所を計画したが用地買収が難航し,工事が遅れている。同47年町内を縦貫していた北鉄能登線が廃止され,バス輸送となり,軌道敷はサイクリング道路「健民自転車道」となっている。同50年社会教育の場として志賀町文化福祉会館建設,柴木公園を造成。同年の世帯数4,159・人口1万7,408。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7087404 |