鉄砲町②
【てっぽうまち】

旧国名:加賀
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は大聖寺(だいしようじ)城下町のうち。明治5年石川県に所属。同22年大聖寺町,昭和33年からは加賀市の町名となり,大聖寺を冠称。江戸期は城下町南東部の足軽町。町名の由来は明確でないが,鉄砲足軽などの居住地によるかと伝える。天明以前の古地図でも「鉄砲町足軽」などと書かれる。天明6年「大聖寺絵図」の家数34,うち徒士4・足軽24。「聖城怪談録」に逢坂清右衛門なる足軽が,祭の夜に鉄砲町で火玉にあったことが見える。明治16年の大火で町のほとんどの39戸を全焼。真宗本願寺派河崎専称寺は承元年中僧親光の開基で,はじめ越中国河崎村にあったと伝え,のち「山代庄上河崎村」,さらに菅谷村を経て寛永年間現地に移る。寛永20年近誉の建立の浄土宗医王山松縁寺は4代藩主前田利章や5代藩主前田利道の母の帰依を得て繁栄したが,明治16年の大火に山門・鐘楼を焼失。昭和33年隣接する稗田(ひえだ)町を編入。昭和41年の家数52・人口192。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7088413 |





