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中町
【なかまち】


旧国名:加賀

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は加賀国石川郡松任(まつとう)町のうち。明治5年石川県に所属。同22年松任町,昭和45年からは松任市の町名。天明5年の町絵図には当町の名が見え,寛政4年の書上げでは本町通7町246軒のうちに入り,早くから町方の拝領地であった(松任町史)。寛永年間,町年寄油屋又兵衛が中村用水の分流西川で,水車を利用した菜種油の製造に成功し,以後,車屋と称し地内の西川沿いに居住した。そのため西川道路は車屋小路,さらに鍛治町北側へ続く小路は水車道と呼ばれた(同前)。化政期ごろの三宅橘園は車屋出身の儒者(新松任町史)。正保元年,藩主の宿所および鷹狩の休憩所として,当町より鍛治町にかけて御旅屋(おたや)を設置。御旅屋守は扶持高3石が与えられ,はじめ橘屋が勤め,寛文10年には角屋に交代した。宝永7年,東一番町の本陣設置により,主屋を破却して廃止され,享保17年,長屋を取り払って消滅した。跡地は角屋の請地となり,その地は894歩3厘,地子銀90匁2厘8毛。御旅屋跡地はのち火除地となったという。御旅屋の北側には大聖寺藩主の本陣が設置された(松任町史)。地内には高札場があり,明治初年に至って撤去。文久年間の宿絵図では町役所があり(続松任町史),明治6年には戸長役場と邏卒屯所が設置された(松任町誌)。同屯所は同15年松任警察署と改称し,昭和9年古城町へ移転。明治11年明治天皇行幸に際し行在所を新築。同32年松任銀行,翌33年松任吉田銀行創業(松任町史)。文久3年の戸数70,明治22年の戸数83・人口403,昭和10年の戸数81・人口399,同29年の戸数97・人口467。明治12年の宅地2町4反9畝15歩,持主57名(同前)。松任四ケ寺の1つ真宗大谷派聖興寺は,明応4年徳光村に明源によって創建され,徳光寺と称したが,文禄4年改称し,慶長6年宮保村へ移転し,さらに慶安元年現在地に移転と伝える(同前)。この寺は安永4年長浜大通寺の乗正の入寺以来,由緒の寺として重きをなす。また境内には千代尼塚がある。世帯数・人口は昭和45年70・326,同50年55・254。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7088737