西新町
【にししんまち】

旧国名:加賀
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は加賀国石川郡松任(まつとう)町のうち。明治5年石川県に所属。同22年松任町,昭和45年からは松任市の町名。明暦2年城址外堀の外郭に1町8反3畝20歩,高27石5斗7升6合5勺相当分の土地を拝領地として受け,99軒の町居屋敷を建てて,新町が成立した。以来新町の創始を記念して8月14日に草市が立ち,盆の市と称されたが,明治初年には絹市とも呼ばれ,古着を主に扱ったという(松任町史・新松任町史)。天明5年の町絵図には,西新町・東新町の2町に区分して記載されている。寛政4年の書上げでは,2町合わせて新町通り家数113。天保13年寺子屋汲古堂開設,慶応元年には男子190名,女子50名に習字・算術および裁縫を教授したというが,明治5年廃止された(同前)。同年松任小学校,翌6年女児小学校を創立。同12年,初の松任町会を松任小学校で開催。同校は同30年殿町に新築移転。女児校も同36年殿町に新築移転。明治4年町役所を町会所と改称。同12年隣接地に戸長役場が中町より移転され,松任町役場の所在地となる(松任町誌)。当町地内で松任市街地の西北端には旧県社松任金剣宮(まつとうきんけんぐう),一名松任金剣神社がある。拝殿を享保3年に建立。慶安元年以来,山伏観蔵坊,次いで弥勒院が奉仕したが,明治初年に社僧を廃止(松任町史)。文久ごろ,同社に至る中村用水の分流馬場川沿いの道筋を宮川町と称したという。寺院には仙竜寺・光明寺があり,ともに真宗大谷派に属す。仙竜寺は文化年間,灌頂が当町地内に開基し,明治12年寺号公称を許され,大正6年現在地に移転した。このほか,真宗大谷派の法性坊があり,寛延3年楞厳寺の隠居法性が中町の聖興寺内に創建の後,明和8年西新町に移り,昭和初年ごろには廃寺となったらしい(寺社由来)。当町には万延元年以来,町芸妓が置かれ,明治末から大正初めには繁盛したという(松任町史)。文久3年の戸数90,明治22年の戸数108・人口494,昭和10年の戸数135・人口487,同29年の戸数199・人口773,明治12年の宅地1町1反6畝21歩,持主55名。昭和48年一部を松任市古城町へ編入。世帯数・人口は昭和45年160・562,同50年140・473。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7088884 |