東増穂村
【ひがしますほむら】

(近代)明治22年~昭和29年の羽咋(はくい)郡の自治体名。能登半島中央部の西側,南西は日本海に面する。酒見川の支流新川流域に位置する。地名の由来は,古くからこの海岸一帯を増穂浦と称し,その東側に位置することによる(羽咋郡誌)。相神(あいかみ)・中浜・大鳥居・相坂(あいさか)・草江(そうご)・中泉・給分(きゆうぶん)・里本江(さとほんごう)・八幡(やわた)・八幡座主(やわたざす)・飯室(いいむろ)の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字を編成。大字相神に役場設置。海に面し,砂浜が続くことから製塩が行われ,明治33年の塩田64反・窯42,産出高1,800石・2,268円,同42年の塩田98反余・窯49,産出高29万4,756斤・3,830円であった。また漁業も行われ,漁船数は明治33年17艘・同42年20艘,漁業従事者は兼業戸数10・人数70で,漁獲高は明治33年2,500貫(500円)・大正5年1万9,380貫(3,082円)をあげる(富来町史)。戸数・人口は明治22年389・2,317,大正9年322・1,771。昭和28年377世帯・1,931人。同29年富来(とぎ)町に合併。この時大字飯室は中泉に,大字相坂は給分にそれぞれ併合され,9大字となり,同町の大字名に継承された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7089260 |





