山崎町
【やまざきまち】

(近代)明治2年~昭和39年の町名。江戸期は山崎氏(5,500石)の屋敷地。明治2年町名ができる。はじめ金沢町,明治22年からは金沢市の町名。市街の東南,小立野(こだつの)台に位置する。延宝金沢地図によれば,山崎庄兵衛の屋敷地は真言宗波着寺の南に接し,広さは4,500坪余であった。前田家にはじめて出仕したのは越前国出身の山崎長徳で,はじめ朝倉義景,次に明智光秀に仕えて700石を受け,光秀没後前田利長に仕える。前田家にとっては重大な戦いであった末森の役では武者奉行となり戦功を立てるなど活躍した。江戸末期には,改革派の側に立って藩政を進めた山崎範古(のりひさ)が,公事場奉行・寺社奉行を経て家老職にも列した。「皇国地誌」には「白山町ノ東南ニアリテ上石引町ニ通ス」と記す。大正5年の戸数18・人口62。昭和39年石引2丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7090253 |