市波
【いちなみ】

旧国名:越前
足羽(あすわ)川中流左岸から一乗城山の北東麓に位置する。地名の由来は,水難をはじめとする苦難から逃れようと神仏を崇拝し,市杵島祭神の頭文字から市波と名づけたという。若宮遺跡(古墳時代,土師器出土),蔵下遺跡・大水口遺跡(縄文時代・古墳時代の集落跡,縄文土器・土師器・石器出土),師沙弥谷遺跡(平安期祭祀跡,須恵器・土師器出土)がある(美山町史)。東方の足羽川が山に迫って曲流する部分に若宮淵があり,天正元年朝倉義景が織田信長に敗れ大野へ逃れる際,その家臣築山清左衛門が妻子とともに投身したと伝える。そのやや下流にはうばが淵があり,朝倉氏の子を若宮淵に沈めた乳母が投身したと伝える(足羽郡誌)。「朝倉始末記」は,天正3年8月16日に織田信長の来襲をさけるため,一乗谷から大野に落ちのびる朝倉義景の道行文のうちで「急グバカリヤ市波ノ里打過テコハ清水」と記す。当地の真宗本願寺派寺院の本向寺は朝倉氏時代には加賀国江沼郡山代に逃れていたが,7代祐順のとき宇坂郷獺ケ口に帰り,8代祐幸のとき当地に復帰したという(本向寺由来書/一向一揆資料)。
【市波村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【市波(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7090960 |





