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島郷
【しまのごう】


旧国名:越前

(中世)南北朝期~戦国期に見える郷名。越前国敦賀郡野坂荘のうち。嘉慶2年10月7日の角鹿長円畠地売券(西福寺文書)に,「河原田保内中島(中洲)畠」の四至として「限北島郷高岸通之堺」とある。「建内記」嘉吉元年8月23日条などによると,島郷年貢のうち30石は京都建聖院(万里小路家の氏寺)領とされていたが,青蓮院がこれを法事料に混じて押領したため,建聖院は万里小路時房を通じて幕府に訴えた。しかし,文安4年12月になってもまだ青蓮院は無沙汰を続けている。在地では応永20年以前櫛川郷地頭山内重経が当郷内の田地1町1反を西福寺に寄進しているのをはじめ(西福寺文書),武士・百姓らによって諸種の得分が西福寺などに寄進・売却されていった。永享2年5月27日の斯波義淳安堵状(同前)に見える島郷内の西福寺領は3町8反余である。室町・戦国期に見える島郷内の地名として,おうはたけ・高橋つめ・しつはたけ・砂子田・大婦気(大深カ)・野神・松本・木崎前・兼等名下・道之中さい東・町之上市・徳円・和久野村などがある(同前)。これらから,郷域は笙ノ川左岸の敦賀市和久野・野神一帯にあたると思われる。敦賀を中心に,越前の諸浦,若狭・丹後・近江などとの間に通商ルートを持っていた舟運業者仲間「川舟座」は,「島郷河舟惣中」と記されるように(道川文書),当郷を本拠としていて,気比社への神事料諸役のほかに,「島郷江御納所銭」を納めていた。慶長国絵図では,高2,411石4斗8升。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7092892